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歌舞伎座が改築されます。長い長いその歴史に幕を閉じます。
大学時代の先生が、とにかく歌舞伎好きで(大向こうまでかけちゃうレベル)、有難いことに最後の
歌舞伎座にお別れにいくからとお誘いをいただきました。先生は芝居のあとに柱に寄りかかって
今にも泣き出しそうな勢い。歌舞伎座を失うことは、帰る場所を失うような悲しみだとも。
学生時代に歌舞伎に目覚め、青春を共にしてきたそうです。同じ思いの人が沢山いるのではないか
と思いました。
歌舞伎座のWEBサイトでその歴史をちょっと追ってみると、その始まりは明治22年(1889年)。
演劇改良運動の熱心な唱導者であった福地源一郎が自分たちの理想を実現すべく、日本一の大劇場
を目指して造ったのが歌舞伎座だった。外観は洋風で、内部は日本風の3階建て檜造り。客席定員は
1824人、間口十三間(23.63m)の大舞台を持つ大劇場として誕生した。(ふむふむ。)
その後、明治44年(1911年)に施設老朽化のため改築。正面車寄せは唐破風造りで、内部の正面
大玄関は格の鏡天井、観客席は高欄付きの総檜造り。(なんと豪華な劇場だ!)
けれど、そこから十数年、大正10年には漏電により焼失。(総檜造りなだけに、火のまわりも早そう。)
その後、再建工事にとりかかるも、大正12(1923年)年9月1日の関東大震災の被災により工事は
一時中断。何とか翌年に再開さ れ、今度は桃山時代を思わせる優雅な大殿堂が出来上がった。
火災にもこりて、耐震耐火の大建築で、正面大屋根の高さは100尺(約30m)、全椅子席に冷暖
房完備、舞台の直径60尺(約18m)、内容外形ともに日本一を誇る大劇場が完成!けれども・・・。
昭和20年(1945年)5月の空襲で、外郭のみを残して焼失。その翌年の昭和25年(1950年)、
現歌舞伎座の竣工に至り、それから50年後の平成14(2002年)、「登録有形文化財」に登録
された。(すごい歴史があるのね・・・!)
以上、全て歌舞伎座のWEBサイトから引用しました。
(http://www.kabuki-za.co.jp/siryo/hensen.html)
私は、歌舞伎はまだ数えるほどしか観たことがなく、歌舞伎の「か」の字もわからないレベルです。
なので、今回の取り壊しについても、個人的な想いよりも、歴史的な建造物の保存という観点で
しか考えることが出来ません。でも、今回歌舞伎座の歴史を調べてみて思ったのは、歌舞伎座は
私の父方の祖父母の生きた時代を丸ごと体験し、今に続いているということ。要するに近代の歴史
そのものなのだと。父方の祖父母は、東京生まれ、東京育ち。明治の生まれです。なので、関東大
震災も東京大空襲(祖父は満州へ)も体験しています。父はよく祖母から関東大震災の時の話を
聞いたそうです。その本当の凄まじさは、当時を生きた人にしか語ることが出来ないものでしょう。
そして戦争中の話は祖父母ともあまりしたがらなかったとのこと。沈黙もまた当時を生きた人だから
こそなのでしょう。祖父母は、まさに歌舞伎座とほぼ同時代を、同じ東京で生き抜きました。二人とも
もう他界しましたが、もっと色々話を聞いておけば良かった、という悔いばかりが残っています。
建物も人も年をとる。だから終わりがくるのは、仕方のないこと。頭ではわかっていても、割り切れない
ものです。
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